【第12章】初めての疑念
「そうか…わかった、よく言いづらいことを話してくれたね。…うん、…うん、加納くんのおかげで彼の不正がどういうたぐいのものか、会社の者より先に摑むことができそうだ。また何か協力してもらうことがあるかもしれないから、またどこかで待ち合わせをしよう。…わかった、また連絡するよ。…あまり気を落とさないでくれ」
ピッ。
携帯電話の終話キーを押すと、それまで神妙な顔をして「彼女」を労っていた倉田は口を三日月状に歪めて、彼独特の奇妙な笑顔をうかべた。
――必要なピースが、こうも簡単に揃うとは。
くっ、くっ、く。倉田は大柄な肩を揺すって、子どものように笑った。あのいかにも純朴そうな顔をした咲希の夫が風俗狂いとは、世の中わからないものだ。まあ、履歴に風俗サイトが残っていたくらいじゃあ真偽のほどはわからないが。結局のところ、奴が本当に風俗に通ってたかどうかなんて瑣末なことだ。俺は、俺がつけこむことができる「穴」が、あの二人のあいだにあればそれで十分だ。あの女の化粧っけのないお澄まし顔を、俺好みのド派手なスケベ顔に染めるために。
(薬漬けにして露出好きの変態に調教してやるのもいいな。おれの出張先に同伴させて、バックからハメまくりながら家に居る夫に電話をさせるのもなかなかだ。あのスレンダーな胸にたっぷりシリコンを入れさせて、海外のAV女優みたいに不自然な改造爆乳に仕上げてやるのも面白い。そうしたら俺の名前を乳首の下に彫らせてやるか。くはは)
倉田はしばし過激な妄想に浸った。彼の手により女性が人間以下の家畜に堕とされるとき、その末路はまさにこのとき決まっているといってよかった。倉田に狙われた女はいつも、この倉田のきままな妄想のとおりに堕落させられ、改造され、飽きられるまで犯されるのだ。これまでに落してきた女と同じように、咲希が自分のチンポを欲しがってケツを振ることを想像して、倉田はほくそ笑んだ。彼はデスクの上に投げ出していた携帯をおもむろにつかむと、登録されたある番号をコールする。
「…ああ、おれだ。久しぶりにいつもの依頼だよ。今から送る男の写真を使ってくれ。…そうだ、いつもの例の仕事だ。つまらないか?フフフ。…ところで、店を指定することはできるのか?…そう、男が入っていく店を今回は指定したいんだ…うん…報酬はいつもの口座に、今回は余計なオプションもあるから倍額入れておく。そのかわり、これまでで一番の迫真の出来を頼む。…察しがいいな、今回の女は特別なんだ。いいさ、飽きたらいつものようにお下がりにしてやるから」
にやにやと笑いながら、必要な手続きをひとつひとつ進めていく。さきほど咲希がくれた電話で、工藤翔太をハメる方法は完全に決定した。同時に、工藤咲希自身をみじめな奴隷に堕とす方法も。
あとは、タイミングだけだ。
倉田は依頼を終えると、携帯を切った。やるべきことはすでに、全て彼の頭の中に完成しているのだった。彼の引く図面には何も支障はない。全てがいつものとおりだった。
* * *
延々と同じようなバラエティ番組しか流してくれないテレビの電源を切り、咲希はリビングの床にぺたりと座って、じっとうつむいた。時計を見ると、いつのまにか午後7時半を回っていた。もうすぐ夫が帰ってくる時間だ。咲希は翔太と顔を合わせることに今日も憂鬱さを感じて、ふうとため息をついた。
咲希は倉田が家を訪ねてきたあの日から、夫の顔をまっすぐ見ることができないでいる。なんとか「おかえりなさい」といつもの笑顔を作ってみても、夫の何気ない表情にどこか「嘘」を感じてしまう。咲希は夫との間に、これまでにあったことのない「溝」ができつつあるのを感じていた。
あの日、初めて起動した夫のパソコンの画面に映し出された女性たちの痴態を、咲希は今でも忘れることができずにいた。忘れたくても、聡明な彼女の脳に深く刻み込まれたその記憶は、容易に消すことができなかった。
デスクトップにある『インターネットエクスプローラー』のアイコンをクリックすると現れる、何気なく整えられた夫のブックマーク画面。「株価変動」「Yahoo!トラベル」「乗り換え案内」、いかにも健全なサイトばかりならんだその画面の中に、見慣れない「無題」というフォルダがあるのに、あのとき咲希は気づいてしまった。「無題」フォルダの中には、また「無題」フォルダ。その中にはまたフォルダ。まるで開けても開けても箱が入っているプレゼント箱のようだった。夫に隠れて、真っ暗な部屋で光るディスプレイを覗き込んで、カチカチとマウスを操作する咲希。何気なく装われた夫のプレゼント箱の中から最後に現れたのは、咲希が始めて目にする、どぎついアダルト動画サイトと、風俗店のHPの羅列だった。
デリバリーヘルス、ホテルヘルス、会員制高級ヘルス、人妻デリバリー、待ち合せ型風俗、ソープランド、ファッションヘルス、性感マッサージ、イメージクラブ、フェチ・嗜好系風俗、テレホンサービス…
そのどれもに咲希が想像もしたことがないような、卑猥だったり、驚くほどストレートで幼稚だったりする店名がつけられていた。
翔太さんがわたしを騙して風俗に通っている?…ちがう、そんなわけないじゃない。咲希は脳裏に浮かんだ疑念を打ち消した。
翔太がわたしを騙して風俗に入れあげるなんて、そんなわけがないのだ。結婚したとき、彼はわたしにこう言ってくれた。
「ぼくは風俗には絶対に行かない。いろいろな考え方があるけど、ぼくは風俗も浮気に入ると思う。へんな病気を咲希にうつしてしまうかもしれないし…そもそも僕には咲希が居るから、必要ないんだよ」
その言葉を、咲希はしっかりと信じている。だから、彼の旦那の「お気に入り」だと表示されているどんな猥雑なサイトを目の当たりにしても、咲希はなんとか動揺を抑えることができた。
(こんなの、誰かのいたずらに決まってる。そうよ、翔太さんも気づかないうちに同僚の誰かが悪戯したんだわ、きっと…)
咲希の握るマウスは、いつのまにかブラウザの「接続履歴」を開こうとしていた。そうとも、夫がこんないやらしいサイトを見ているわけはない。翔太さんのことを落としいれようとする同僚の誰かがこんなにたくさん登録したんだわ。倉田さんがあんなことを言ったのも、きっと会社にいたころ誘いを断ったあたしへの嫌がらせに決まってる。だって、
…だって、履歴には何も…
な、何も…
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