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陽美~凛々しかった妻の変貌~【4】

最終更新:2010/07/15 21:46 │ ブログ記事 | コメント(0)

 博隆が躊躇しているのをいいことに、陽美の変貌はどんどんエスカレートしていった。服装もそうだが、ここ最近の一番の変化は、家で煙草を吸うようになったことである。それまで決して手に取ることもなく、臭いもたいそう嫌っていたはずの煙草を、彼女はいつのまにか毎日のように口にするようになった。それも半端な量ではない。彼女はもう家にあまり寄りつかなくなっていたものの、少なくとも博隆がそばにいる間は四六時中、ぷかぷかと紫煙をくゆらせているのである。


 一本吸って、消して、また火をつける。現在の彼女は、完全なチェーンスモーカーと言ってよかった。陽菜のすぐ側でも平気で煙草に火を付けるので、博隆は彼女が家にいるあいだは、黙って陽菜を部屋から連れ出すようになった。陽菜は数日前に3歳の誕生日を迎えたが、こんな状態では家族でそれを祝えるわけもなかった。陽美は愛娘の人生3度目の誕生日も、いつもと変わらず夜遅くまで飲み歩いている様子だった。博隆との会話も、必要最低限のものばかり。

 陽美が離婚を求めたあの夜から、もう4ヶ月が経過していた。


ハニカム  ハニカム

     * * *


 

「ちょっとヒロ!こんな軽いの吸えないって言ったでしょ?何回言わせんの?もう一回買ってきて!」


「ええ・・・だって、セブンスターってさっきメールで・・・」


「チッ、だからこれはセッタじゃなくて、セッタのライトだって。そんなこともわかんないの?仕事どころかパシリもできないわけ?」


「な、なら、自分で買ってくればいいだろ・・・」


「あ、口答えするんだあ。じゃあいいよ、いますぐ離婚してよ。夫としても使えない上にパシリのマネもできないようなあんたと、これ以上生活したくないんだけど。あの子の親権、あたしが持ってってもいいわけ?」


「・・・」


「このマンション、誰のもんだと思ってんの?早くサインするか、いますぐタバコ買ってきなさいよ!」


「わ、わかったよ・・・」

 

 

たまに会話をしても、こんなやりとりばかりだ。博隆はすでに陽美の言いなりになっており、彼女のために煙草や灰皿を用意するのが当たり前の毎日だ。いまの陽美は、離婚や娘の親権をたてにして夫を隷属させようとする、およそ最低最悪の妻と言ってよかった。

「ヒロ?」

タバコをくわえた彼女にそう呼ばれるだけで、博隆はどこにいても雷鳴に打たれたかのようにそばに擦り寄り、うやうやしくライターを差し出して着火する。と言えばまるでホストのようなしぐさだが、2人の関係にそんな流麗さなどあるわけもなかった。ホストとビジターではなく、「主人」と「奴隷」。そんな会社にいたころ以上の主従関係が、そこにあった。


 誰にでも優しく、凜としていて、社内の人々みんなから好かれた藤堂陽美はもういない。
陽美は少しでも煙草が切れるとイライラして陽菜に当たるので、博隆は常に「在庫」を切らさないように気をつけねばならなかった。煙草を買う係にさせられたのをきっかけに、陽美は彼を夫でなく完全に「パシリ」として扱うようになり、既に命令口調になっていた言葉遣いも、どんどん荒っぽくなっていった。

 

「あのさあ、しばらく夜帰んないから、ひなの様子みといてよ。・・・ちょっと、返事は!?」


「チッ、ビールまた切れてんじゃん。ヒロ、帰りに買っとけっつったよね!?」


「あー、だるいわ。ヒロ、ちょっと肩もんでよ?どうせやることないんでしょ?早くして」


「あー、金無くなったから5万くらいちょーだい?今夜も渋谷で遊んでくるからさあ」


 

毎日がそんな調子だ。年下の夫に「博隆さん」と呼びかけていた新婚生活が懐かしい。いまの彼女はまるで犬でも叱るかのように、「ヒロ!」と高圧的に彼を呼ぶようになっていた。不思議なことに、その名前で呼ばれると博隆はびくりと背筋を震わせ、彼女の言葉に抵抗できなくなってしまう。しかも、それだけではない。妻にこんな惨めな仕打ちをされながら、彼の下半身はまるでエロティックなお仕置きをされているかのように、ビンビンに勃起するようになっていた。 陽美に書類上のミスを叱られながら、ひそかにズボンの前をふくらませていたころのように。

 

*  *  *

 


 週末。博隆にとって、その響きは以前のように嬉しいものではなくなっていた。藤堂家の週末に、陽美の姿はもちろんない。彼女
は朝から10代の女性のようにカジュアルに着飾ってどこかへ出かけていき、夜遅くまで帰らないのが普通だった。下手をすると、土曜の朝に出かけたまま、月曜まで帰らないことすらあるほどだ。

 

「もしもーし、ルミだよ~。うん、こないだはちょー楽しかったね~!ケンくんまた友達紹介してよぉ、あのときの子すっごいイケメンだったじゃん。・・・うんうん、いくいく~!じゃあ、またハチ公に9時ね?おっけー♪」

 

博隆が食器の片付けをしていると、陽美が携帯でそんな会話をしているのが聞こえてきた。言葉遣いはまるで10代の小娘のようだ。しかも、男と遊び歩いているとしか思えない内容。陽美が携帯でこうした会話をするのを、いつのころからか博隆は平気で聞き流せるようになっていた。

 電話では、彼女は「ルミ」と名乗っていることが多いようだ。ハルミの「ルミ」なのか、それとも夜の街での偽名なのか、博隆にはわからない。以前は博隆を警戒して携帯電話を肌身離さず持ち歩いていた陽美だったが、最近は夫の目の前でも、平気でどこかの男と通話するようになっていた。


 彼女は博隆と陽菜を完全に見切り、とことん奔放に遊びあるいている。それなのに、博隆は彼女を咎めることも、離婚に踏み切ることもできないでいた。 

 離婚するとなれば、彼女は間違いなく興信所を使って集めた証拠品を使い、博隆の有責性を主張するだろう。「夫の不倫により、すでに婚姻生活は破綻していた。妻の不貞行為にはあたらない」とでもいえば、間違いなく勝てるとは言わないまでも、調停員の博隆への心象はかなり悪くなるだろう。かつて優秀なキャリアウーマンだった陽美には、簡単な「仕事」だ
。美しい陽美のこと、調停員の前で一発泣き崩れでもすれば、博隆に勝ち目はない。調停が不調に終わり、裁判をしたとしても、結果は良くはないだろう。このマンションは彼女の持ち物だから、博隆は慰謝料を取られた上、陽菜の親権も奪われて、素寒貧で家を追い出される可能性が高いのだ。


 

いまや陽美は完全に夫である博隆のことを見下し、なめきっていた。この男がわたしをどうにかできるわけがない。裁判になっても、どうせあっちに勝ち目はないのだ。それなら、結婚関係が続くあいだは利用するだけ利用したほうがトクだ。そんなふうに彼女は考えていた。

 彼女にとって博隆は今や「愛する夫」などではなく、むしろ財布や
ATMに近い存在なのだった。新婚のころに抱いていた愛など、すでにすっかり冷め切っている。この馬鹿な夫のせいで、彼女の「幸せな結婚生活」は永遠に失われてしまった。彼女にとっては、今を楽しむことさえできれば、あとはもう全てがどうでもいいのだった。

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